「明治の“推し活”」
今回は少し肩の力を抜いて、明治時代の「推し活」について調べてみたいと思います。
★「推し活」とは
「推し活」というキーワードでヨミダスを検索してみると、最初に出てくるのは2021年4月28日の[推し活のススメ]という連載。アイドルやアニメのキャラクターなどを熱狂的に応援する「推し活」を分析しており、宇佐見りんの『推(お)し、燃(も)ゆ』がこの年に芥川賞を受賞したことがきっかけで社会的に認知されたとの見方も紹介されています。
★明治時代の対象は?
明治時代、「推し」の対象は何だったのでしょうか?
この時代に爆発的人気を博したのは義太夫を語る女性で、当時は女義太夫(または娘義太夫)と呼ばれていました。
「肩衣(かたぎぬ)と袴(はかま)を身に着けた化粧っけのない若い娘が、懸命に長い話を語っていく。クライマックスになると、乱れた髪が一束、額にかかり、眉間(みけん)にシワを寄せた必死の表情で、ひときわ声を張り上げる」
「あたかもそれは、“男装の麗人”がのぞかせる女性としてのエロチシズム。それを感じた観客が、『ドウスル、ドウスル』とはやし立てた。まあ、後世の少女歌劇のようなアイドルだったのだ。現代のAKB48を熱心なファンが囲んでいるように、周りに『ドウスル連』がいたのである」<[異才列伝]豊竹呂昇 大衆をとりこにした女義太夫>(2010年4月11日)。
「ドウスル、ドウスル」のかけ声は、アイドルのライブで「コール」と呼ばれるかけ声をかけたり、野球場で選手の応援歌を歌ったりするのと似たようなものなのかもしれません。熱い声援にも歴史あり、ですね。
★親衛隊、ファンレター
当時の紙面にも熱心なファンの姿がうかがえる記事があります。
1891年(明治24年)4月7日の<女義太夫竹本小住、四天王の壮士を従う>では、竹本小住と住之助を推している学生ら4人が親衛隊のように二人を取り囲んで家から寄席まで送っていく姿に、すれ違った人が振り向いて「小住の勢いはたいしたものだ」と感心する様を伝えています。
ほかにも、「おん前サマのジヨロリ(浄瑠璃)を聞き毎ばん毎ばんねてもねられ申さず候、いっぺんおんまえ様に会いたいとは思えどもどうした手づるを求めてよいやらわからず毎日毎日そればっかり考え…」という娘義太夫・豊竹団之助へのファンレターも掲載されています<[演芸界だより]美光は柔術を知るまい▽団之助の失望お察し申す>(1909年=明治42年=3月9日)。
推しに対する熱い思いはいつの世も変わらないようです。(は)
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